息子3人それぞれの不登校【長男編】

長男小学校

長男は、親の私が言うのもなんですが、言葉の覚えや理解が早く、とくに塾に通うことなく模試のみいっただけで、小学校受験をクリアしました。その小学校は私の母校でもあり、先生が熱心で授業が面白かったので、自分の子供にも楽しんで勉強をして欲しい気持ちがあり、受験に疑問はありませんでした。

幼稚園時代、塾には行きませんでしたが、勉強よりも自然な体験を知識へ結びつけるような教育をしたかったため、知育玩具や毎日の遊びでどんなことをするかは日々試行錯誤、幼児教材などもいろいろと試していました。

小学校低学年から中学年は、学校の宿題さえちゃんとやっていれば良いと思っていたため、自宅でそれ以外の勉強はしていませんでした。長期休みの時に少し難しい問題にチャレンジさせたりくらいでした。

ただ、いつかくるだろうと思っていた、中学受験するか問題。

クラスのほぼ全員が受験する環境。本人は、塾へ行かず私と勉強し、受験をすることを選択しました。また、大多数の同級生が選ぶような志望校ではなく、寮のある少し離れた国際的な学校を志望しました。

結果としては第一志望はかなわず、第2志望の、遠いけど寮のない公立中高一貫校へ進学することになりました。

長男中学校

毎日往復4時間。そして入学と同時にコロナ渦突入。

1年生のうちはどうにか頑張っていました。しかし、中学2年生になり、もともと小2の頃から時々頭痛もあったので、頭痛で休むことが多くなりました。私自身も頭痛持ちなので、休むことをとやかく言うことはありませんでした。頭痛外来のあるクリニックで片頭痛の薬を処方してもらって飲みましたが、表情は曇るばかり。

11月の中頃から、ほぼ毎日起きられなくなり、その辺から私も「ああ、これが不登校の始まりなんだわ」と。そう思ったとき、焦りました。でも、長男を責めてはいけないし、学校へ行きなさいと言うことも禁忌だと思っていました。本人が一番ツラいのだから。

担任の先生は若い1年目の女性の方でした。体育会系で、毎日のように明るく電話をくださいました。そんなに毎日電話してもらっても・・と思う反面、私のどこにも持って行きようのない不安を、オブラートに包みながら、長男の様子を正直に伝えていました。今思うと、あの電話に救われたところもあります。

長男が昼まで寝ていることが続いたため、スクールカウンセラーに相談に行きました。スクールカウンセラーの先生は、『起立性調節障害』かどうかを確かめてもらうために、専門の心療内科医を紹介してくださいました。

ただ、その診療の予約が取れたのが3ヵ月先でした。学校へ行かなくなって1ヵ月。年末でしたが、私はどうしてもこの、何も進展しない時間がもったいなくて、動き始めました。

小学校の時から海外に興味があった長男に、留学を勧めました。本人もやってみたい、と返事をくれたので、不登校からの留学を支援してくれるエージェントに連絡をとり、すぐにオンラインで話を聞きました。

不登校からの留学(手続き)

オンラインで説明を受けたのが年末でしたが、年明けすぐにお願いしたいという旨の連絡をしました。その時点で、ギリギリその年の9月からの新学年(日本で高校1年にあたる新学年)からの留学が可能でした。

その後、留学の手続きで忙しい日々が始まりました。ただ、エージェントさんが細かく指示をくださるので、こちらはそれに沿って動くだけ。

長男には英語で記入する書類や、英語のレベルをチェックするためのオンラインのテスト、などが課されましたが、やる気はあるのですぐにこなしていました。

大変だったのは、『過去2年分の学校の成績を英語表記で提出すること』でした。中1の時の成績と、小6の時の成績。卒業した小学校の事務へお電話しましたが、初めてのケースらしく、困惑され、当時の担任の先生につないでくださいました。担任の先生は、一度受け取って確認・検討します、と言ってくださったものの、3日後にお電話があり、「過去に例がないのでできない。過去の成績データは触れないようになっているので、申し訳ありませんが協力できない。」とのことでした。

中学校の方は、元気のよい若い女性の先生が「大丈夫です!何とかします!」と言ってくださり、1ヵ月たたないくらいで英語表記の成績表を作成してくださいました。(英語の先生に頼んだようでした)

小学校の成績は仕方ないので、手持ちの成績表をコピーして業者に英訳を頼みました。3万円くらいかかったような記憶です。

不登校児が留学して大丈夫?

最初はそう思ったりもしていました。

でも、半年間の準備期間の間に、エージェントさんからの電話で朝起こしてもらってカウンセリングしたり、無料で英会話レッスンしていただいたり、本人もだんだん自覚ができてきて、どんどん元気になっていきました。

私の母から、「留学を勧めてくれたお母さんに感謝してるっていってたよ」という言葉を聞いて涙がでました。

結果としては、片頭痛で時々休みながらも5ヵ月の留学をきちんと終えて、ふたまわりくらい大人になった息子でした。帰ってきてから、退学の手続きをし、息子は今でも不登校です。高校は行かない、と自分で決めた、選択的不登校です。高1の秋の高卒認定試験で合格証(18歳の誕生日に発効するらしい)を手にして、今は趣味のドラムを楽しんでいるようです。

不登校でもいいと思えること

多くの不登校のお子さんも親御さんも学校へ行かないことが後ろめたいと思っていることと思います。それが不登校のつらさです。長男も私も、当初は本当につらく、くらーい気持ちの毎日でした。

留学したことで、世の中には色んな生き方があるし、学び方がある、自分の道を行けばいいんだと思えた息子は強くなったのだと思います。私もそんな息子を見て、救われました。そして、この子にはこれでよかったんだと思えるようになりました。

今は本人の意思に全て任せています。

補足ですが、起立性調節障害かどうかを診断するには、病院に1泊しなくてはならない、とのことでした。息子は「しない」と言いました。自分で「自分は起立性調節障害ではない」とその時思ったそうです(笑)私もそれでよかったと思います。もし、起立性調節障害の診断がくだっていたら、そっちにひきずられていたかもしれませんよね。

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